乗り越えるのではなく受け入れる

庭の梅の花がほころび始めました。
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今日は妻の6回目の月命日。
半年が過ぎて、季節もかわり、いろいろなものが変わりました。

3月11日が近づいて、多くのテレビが震災関連の番組を放送しています。
あの日、私も、教え子や親しい人を失いました。

日々の生活の中で、ちょっとしたきっかけで、ふと記憶がよみがえります。
表情であったり、何気ない会話であったり・・・。

悲しみやつらさを乗り越えて・・・、
という表現をされることがあります。

失ったものが建物や財産などで有れば、元の状態に戻す復旧や、以前の状態よりも発展させる復興は可能かもしれません。

妻を亡くして、あらためて思うのは、
亡くなった人が生き返ることはないということです。

常に悲しみに沈んでいるわけではありません。

道を歩いていて見る景色や、家の中にある物や、テレビに映し出される映像や、さまざまな機会に、ちょっとした会話や出来事がよみがえり、何とも言えない感情がわき上がってきます。

亡くなった人が身近であればあるほど、思い出される回数も多く、感情の振れ幅も大きくなります。

この感覚は乗り越えられるものではないし、
乗り越える必要もないと思います。

ただ、この状況を受け入れるだけなのです。

受け入れることによって前に進むことができるのだと思います。

「さあ、おかあさん。これからも、一緒に頑張ろう。なにしろ、おかあさんの分まで長生きしなくちゃいけないからね」(笑顔)

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